星
明確な理由はないが、表紙とタイトルに心を奪われ、京都で買った本
少し前から聞いていたが、取り立てて好きというわけではなかった曲
それらが同時に話題になった昨晩の電話
今日の映画
直接的なつながりがないものをすべて紡いで、新しい感情、情操を教えてくれるきっかけをくれた貴方にはどれほどの感謝を伝えればいいだろうか。
果たして僕は僕が思っていることと同じくらいの新しいことを伝えきれているだろうか。直接聞いてもしょうがないようなことを不安に感じているのは何とも非合理で情けないけれども、自分の一面だとも思う。
『汝、星のごとく』
一人で生きる力も意欲もなく、誰かにすがることでしか生きられない親を持つ櫂と暁海。環境が著しく変化する中で夢をつかむ櫂と、変わらない・改善しない日常を生き続け、次第に依存していく暁海のすれ違い、自分を縛り付ける親と関係。ねじれる感情。かつての恋とゆがんだ愛情が二人を少しずつ遠ざけてゆく。そこに突然訪れる悪意。社会にはびこる苦しみのはけ口を見つけたいだけの悪意に押しつぶされる櫂。一方で、恋や愛ではない安らぎを見つけ、またこれまでが実を結び生きる力を得た暁海の前に突如知らされる、櫂の容態。すでに北原先生と籍を入れている暁海に対し、「正しさなんて誰にも分らない。大切な人だけがわかっていればあとはどうでもいい。」と言い切り、愛する人とのひとときを届ける。「遠回りして近くについた」と述べる櫂の幸せはどれほどだっただろうか。まっすぐに櫂だけを想える、愛せる時間がどれほど暁海にとって美しい時間だっただろうか。今治の花火を二人で見たその瞬間、櫂は星となる。
息をつく間もなく届けられる残酷で不自由な現実と、垣間見える櫂と暁海の間に確かにある、細くとも硬い糸。思えばこの物語は、櫂の言う「遠回りして近くについた」という言葉がある種一番しっくりくるのかもしれない。
ただの学生の二人が恋焦がれ、結ばれるはずだったものが、親や閉鎖的な社会、”客観的で無責任な正しさ”に翻弄されていく姿は、非常に歯痒く、胸が締め付けられる。
正しさとは何か。幸せとは何か。そして愛とは何か。
過去には戻れない。だが未来で上書きすることはできる。
人は群れで生きるもの。自分を縛る鎖を自由に選ぶために一人で生きる力をつける。矛盾にまみれているのが私たち。
あまたの試練を乗り越え、いや最大の試練が待ち構えていると気づいていながら、愛する人のもとへまっすぐに向かうことができた暁海の出奔、10年以上待ち続けた花火を待っているあの時間には涙を隠すことは難しい。
序章から出てきた夕星、海峡を渡る橋の上から見える島、温度や呼気が伝わるような緊迫した場面描写、小説・文章表現がもたらす面白さを心行くまで堪能できた。
個人的に印象に残っているのは櫂の自認。
「優しい。けどそれは人を苦しめるやさしさ。それは俺の弱さ。」
非常に胸の奥に刺さる言葉だった。
優しさとは包むこと、許すこと、受け入れること。
ただそれは隠すこと、考えないこと、ゆだねること。
人を救わないやさしさ。
正しいことは優しいことではないこと、人を幸せにしないことを強く思い知った。
自分の弱さを他人に押し付けているだけだと。
多分、一生忘れない言葉になる。
そして『星を仰ぐ』
限りあるものに焦がれた夜の先へ行けたら、
限りあるものが星になっていくまで、君と居れたら。
不完全なものの美しさ、尊さ、愛しさ。
言葉が持つ奥ゆかしさ、経験や知見が紡ぐ創造、想い。
それらの大切さに気付かせてくれた一冊と一曲に感謝を、そして大切なひとのひとりにリスペクトと僕なりの愛情を表し、閉じたいと思う。
素晴らしい日だった。貴方と大切な人たちの明日が輝きますように。